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にむのひとりごとアーカイブ2024年10月~2024年12

○​2024年12月31日大晦日

今日は2024年最後の日ですね。1年間無事に過ごせたことを感謝します。また明日新年を迎えて1年間元気に過ごせることを願っております。

90歳になる母は、福岡県の施設におりましたが、弟と相談していわきでぼくの近くで過ごしてもらうことになり、12月29日に福岡に行ってきました。時間を持て余していたので羽田空港内の立ち食いすし屋で、美味しいお寿司をいただいて時間を潰しました。たくさん注文するのでびっくりされました。震災以来飛行機に乗るのは久しぶりでしたが、やはり新幹線に比べるとあっという間につきますね。晴れていて夕日がきれいでした。ぼくの乗った飛行機は大谷翔平の写真がついているもので、みんな写メを撮っていたのでぼくも写メを撮りました。空港近くのホテルに泊まりました。とてもきれいなビジネスホテルでした。晩御飯は近くに資さんうどんがあったので行ってきました。他社に買収された影響なのか、うどんのスープがぬるかったり、なんだか味気なくなっていて正直ちょっと残念でした。翌日足が弱っている母をどうやって連れていくかシュミレーションしたりしたためかあるいは日々の疲れのせいなのか、肩や首、足が疲れていました。ちょうど出張マッサージのチラシがあったので、電話をしてマッサージをしていただきました。ロングでたっぷりとマッサージしていただきましたが、とても上手な方で、とろとろに癒されました。上手な方になかなかあたらないので、本当に有難かったです。ぐっすりと寝る事が出来、翌朝早々に福岡空港に行って車いすをお借りしました。弟が車で母を連れてきてくれて、バトンタッチしてから搭乗しました。母の事があったので、生まれてはじめて贅沢にファーストクラスに乗りました。当初席が離れていたのですが、係りの方が気を利かせてくれて、他の乗客と交渉して並びの席に変えてくれました。ラウンジにも行けて、ゆっくりできましたし、JALのスタッフには本当によくしていただいて感謝です。ファーストクラスってやっぱりサービスがすごいなと思いました。機内食も出て、とっても美味しかったです。母も問題なく移動出来てよかったです。母は若い頃、オランダ航空の国際線のCAでしたが、本当はJALの国際線のCAになりたかったと昔言ってたことを思い出しました。羽田空港でもタクシー乗り場まで車いすで連れて行ってくださいました。タクシーで品川駅にいき、家内が車いすで待機していて、それからひたちにのっていわきまで行きました。乗った電車がいわき行きではなく仙台行きだったため、いわきで降りるときも気を使いましたが、無事に連れて来る事が出来ました。ぼくのクリニックの目の前にある施設に入居でき、ぼくが主治医になれたので安心です。そのあととんぼ返りで埼玉の家に戻りました。

いまから30年間残していた大学時代の手術録や学会発表スライドなど全て処分し、また来なくなった服も全部処分しようと思います。

えのもっちゃんから、ミュージックライフの編集長だった湯川れい子さんのレッドツエッペリンの日本のライブの裏話が送られてきたので載せました( https://youtube.com/watch?v=WLWs5EGvbUA&si=nDu5APc1oqDJ0hO1 )。ロックしてますねー。

年の最後にレッドツエッペリンを。「胸いっぱいの愛を(https://www.youtube.com/watch?v=HibBnC6SVk8 )」「ロックンロール(https://www.youtube.com/watch?v=D2lSwosw9xY )」「天国への階段( https://www.youtube.com/watch?v=Ly6ZhQVnVow )」。ロックンロールは、ぼくが高校の頃学園祭でやって、ドラムを壊してしまいました。

ではみなさん、よいお年を!!

○​2024年12月24日火曜日

今日はクリスマスイブでした。クリニックでも、恒例のクリスマスイベントをしました。みなさんに喜んでいただき、やってよかったなと思いました。

毎回クリスマスイベントで、クリニックのロゴをあしらったどら焼きを持ってきて下さる患者さんがいて、今年はロゴのみならず、メリークリスマスの刻印の入ったでっかいどらやきもいただきました。みんなでおいしくいただきました。ありがとうございました!

昨日は早々にぼっこやさんで忘年会をしました。美味しい食事に美味しいお酒をいただいて、日頃の疲れを癒やすことができました。今回はホームページ担当のようじが風邪をこじらせて参加できませんでした。とてもいい男です。参加できなくて残念でした。インフルエンザ、コロナ、マイコプラズマなどなどいろいろと感染が広がっていて、ほんとに気をつけないといけませんね。

その前には、医者になってすぐの頃にお世話になった病理学教室の先生たちと飲み会があって、久しぶりにお会いできて楽しかったです。ぼくが医者になってまだまだ甘っちょろい頃にびしびしとしごいて下さって一人前のオンコロジストにして下さった、下田先生を囲んでの会でした。下田先生は若くしてがんセンターから慈恵医大の病理に来られて、その後また築地のがんセンターにもどられて一世を風靡した名病理医です。いまは静岡がんセンターのフォローをされています。僕の弟もがんセンターで下田先生にさんざんお世話になり、いまの彼はそのおかげで福岡大学筑紫病院の病理学の教授になったと言っても過言ではありません。当時下田先生は厳しい先生でしたが、こんなに楽しそうにしている写真を初めて見ました。僕の隣の先生は、慈恵にいるときずっとお世話になった池上先生で、慈恵医大の病理の教授をされたあと、いまも慈恵のために頑張って下さっています。その隣は斎藤先生で、現在癌研有明病院の大腸内視鏡チームをひっぱっていっている先生です。僕の隣の女医さんは、学生時代から仲良くして下さっている藤崎先生で、慈恵から癌研有明病院の胃の内視鏡チームのリーダーとして移られて、いまは癌研の健診部で頑張っている先生です。めちゃくちゃ仕事ができるのに謙虚で後輩の面倒見がいい素晴らしい先生です。ぼくはこれらの先生方に知り合えたおかげで勉強をする必要性を教えていただき、一流のアカデミックな知識を得る機会に恵まれました。今の自分があるのは下田先生をはじめ、これらの先生方のおかげです。一緒に飲んでいても何の自慢もせず、純粋な話をされて、本当に居心地がいい時間を過ごすことができました。やっぱり一流の方は違うなと感じますね。肩書きが大好きで、なんか偉そうにしたがる医者が、ちまたにはいますが、実力が無いからそうせざるをえないのでしょうね。いわきにいるとときどきそういう井の中の蛙的な先生がいてかわいそうだなと感じます。

ぼくはいわきで開業して甲状腺を一生懸命診察していますが、当時は消化器のがんを一生懸命やっていて、懐かしく感じました。

もうすぐ年が明けて、また新しい年が始まります。くれぐれも健康に気をつけて心身ともにすこやかな新年を迎えましょう。

○​2024年12月18日水曜日

今日は水曜日で第一三共小名浜工場の産業医の後、常磐病院での手術の日でした。

最近、法人化した影響や、紹介患者さんの対応などで日々ごった返していて、自分の心身の整理が限界状態になっている気がします、スタッフに支えられてなんとか頑張っている状況です。

先日、20代後半からお世話になっていた、埼玉県川口市のとんかつ屋さんのとん多が閉店になりました。ぼくがはじめて医師としてアルバイトをしたり、常勤医になった益子病院の近くのお店で、マスターやママをはじめ、そのご家族に35年くらい前からお世話になったお店です。たくさんの思い出があります。一緒に奄美大島にも行きました。一緒に浅草サンバカーニバルにも出ました。お店を取り壊すにあたり、30年以上前から僕のドラムセットを預かっていただいていたようで、後日息子が取りに行くことになりました。

もう思い出がありすぎて、これで閉店とは考えられなかったのですが、本当にお世話になりっぱなしでした。ありがとうございました。最後にロースカツ、一口カツ、エビフライをお持ち帰りにしていただき、いわきで美味しくいただきました。

写真は、その時のマスターとの写真です。もう一つは、25年くらい前の写真です。僕の弟が、慈恵医大の病理学教室に入局して、今の僕の奥さんとまだ結婚前ですが、一緒に飲んだときの写真です。みんな若いですね。ぼくは30代の頃で慈恵医大にいた頃だと思います。

僕は九州の福岡県出身で、同級生や当時の担任とはいまでもめちゃくちゃ仲良しで、今度みんなで会うことになっているのですが、当時はとにかくいまでは考えられないような自由というかハチャメチャというかでも根はまじめでやることはしっかりやってという、とっても夢がある仲間です。ときに常識ではないことを平気でやったりしますが、誰にも迷惑をかけず、ただひたすらに楽しいと感じることをやってきました。今でも僕はその考えが根付いていて、とにかく楽しいなと思うことをやって行きたいと思っています。そうするとみんなも楽しいからますます元気になります。ただ、今はいわきにいてなかなか周りに僕と同じ感覚の人が少ないので閉塞感はありますが、僕はこのまま突き進んでいきたいと思っています。

以前、有名なデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドのDVDを観たことがあって、彼女曰く、常識から外れたことにしか新しいことは生まれない、それにはセンスがないとできない、そのセンスには十分な知性が必要であると話していました。

常識のからを打ち破らないとオリジナリティは生まれないが、そのベースにはしっかりとした知識が必要だと言っているのです。彼女は当時、エキセントリックなパンクファッションを世にだしたのですが、その裏で職人さんはしっかりした基礎を十分に踏まえた方を使っていたようです。今ではあの大英博物館に展示までされています。

つまり、うわべだけで人と違うことをするのではなく、しっかりした基礎を踏まえた上でからをぶち破れと言っているのでしょう。

僕は今62歳ですし、今後どこまでやっていけるかはわかりませんが、常に常識ではとらわれない生き方をしていきたいと思っています。

スタッフはじめ患者さんなど周りの方で、ついていけないなと思う方もいるかもしれませんが、楽しくまじめに人生を送っていきたいと思っていますので、こんな僕でよかったら皆さんどうぞよろしくお願いいたします。

今日はもう遅いから音楽の話はまた今度。

おやすみなさい。

○2024年12月8日日曜日

今日は天気がよくて気持ちいいですね。これからどんどん寒くなっていくので風邪など引かないようにしましょう。

昨日は大好きな山内クリニックの山内俊明先生と息子の宏之先生、サンシャインよしまの施設長の村井先生、ひるちゃん、ゆかりさん、まっきーと家でホームパーティーをしました。久しぶりの会でとっても楽しかったです。もう1人大好きな元いわき市美術館館長の佐々木先生も参加予定でしたが、風邪をこじらせてしまい今回は参加できませんでした。山内先生からは美味しい日本酒を、村井先生からは美味しいかまぼこをいただき堪能しました。ぼくも数日前から牛すじおでんを仕込んで、当日は腰塚のロースハム、ベーコン、あとろく助の塩を使ってカプレーゼを作りました。おでんに車麩をいれてみたらとても美味しかったです。ひるちゃんがつくった腰塚のコンビーフオムレツがとても美味しかったです。ゆかりさんがつくったふろふき大根に、えちこさんがつくったゆず味噌をつけて食べるとこれまた美味しかったです。源次寿司のかっちゃんに頼んでツブ貝やホッキ貝、ヒラマサのお刺身を届けてもらって美味しくいただきました。この会はいままで結構激しく飲んでしまい、佐々木館長、山内先生がへろへろになって倒れるといった歴史がありますが、今回はみんな元気にお帰りになりました。また年が明けたら佐々木館長をお誘いしてやりたいです。

先週はお世話になっている常磐病院外科の黒川先生と澤野先生をお誘いして、ひるちゃん、かなちゃんと湯本の美味しい上々屋とワイズバーに行ってきました。かなちゃんは澤野先生に先日腹腔鏡で虫垂炎の手術をしていただきました。腹膜炎になるほどひどかったため、入院して一旦抗生剤でたたいて2ヶ月後にSILSという単創腹腔鏡手術で切除してもらいました。僕も手術室で見学させていただきましたがどんどん外科手技も進歩してきてますね。飲み会には福島県立医大から勉強に来ている学生の内山君も参加しました。眼がキラキラしていて学生の頃を思い出しました。いわきは医師不足なので、若い医者がいわきの魅力を感じていつかいわきで医者をしてくれるといいなと思いました。黒川先生や澤野先生は、いつも緊急性がある患者さんをスムーズに受けてくれるので本当に助かっています。正直ぼくが病院勤務ならできるのに開業しているのでできないジレンマはあります。医療センターは患者さんが緊急で受診するまで手続きが面倒で時間ばかりかかるので常磐病院の外科の2人には本当に感謝しています。

2週間前には水曜日に産業医でお邪魔している第一三共ケミカルファーマ株式会社小名浜工場の西田工場長、久々宮安全委員長、五十嵐衛生委員長と最近はまっている平の昭和レトロ居酒屋ごえもんで楽しく飲みました。みなさんいいかたで、産業医やっていて楽しいです。水曜日は第一三共の産業医の後常磐病院で尾崎先生、ひるちゃんと甲状腺の手術をしています。第4週の水曜日はもともとやっている東京の産業医をしに日帰りで東京に行っています。しばらくはこういう生活が続くと思います。結構疲れちゃいますが、頑張りたいと思います。

先日ヨーグルトの話をクリニックのスタッフたちとはなしていたときに、小さい頃茶色いヨーグルトドリンクがあったのを思いだしてみんなに話したら、そんなものみたことないし検索してもでてこないから僕の間違いだろうって言われました。でも腑に落ちなくて母に電話したのですが、ぼくの勘違いだろうと言われ、姉に電話したら、なんかあったような気がすると言われました。高校の親友のよっちゃんに電話したら、確かにあった、懐かしいねえと言ってました。やっぱりあったんだと思いパソコンで2時間ほど検索したところついに見つけました( https://www.citymilk.net/bin/misc/yogurt-135cc.htm )。特に九州で多かったようで、いわきには無かったようです。どうでもいいことなんだけど、胸のつかえがとれてすっきりしました。

今日は映画について書きます。僕が好きな映画は、黒澤明監督の作品とフーテンの寅さんです。寅さんの男はつらいよは昔全作ビデオを持っていました。第一作が一番好きです( https://youtube.com/watch?v=KqSw6_wuv3E&si=eEu6vNgvH7s2_H_2 )。出だしの江戸川を矢切の渡しで渡るところの「桜が咲いております」を聴くだけでじんときます。寅さんがネクタイを締めているのはこのときとお見合い騒ぎのときの2回しかなかったように思います。第1話でさくらとひろしが結婚するので主題歌は「俺がいたんじゃお嫁にゃいけぬ わかあっちゃいるんだ妹よ」ですが、それ以降は結婚したため2番の歌詞が歌われています。初代おいちゃん役の森川信がいい味出して好きでした。笠智衆もいい味出してましたね。第3作のマドンナの新珠三千代さんはぼくが慈恵医大病院の病棟長をしていたときにぼくの病棟でお看取りしました( https://www.youtube.com/watch?v=4WCE7rqUEQw )。本名で入院されていて、亡くなるまでだれも気づきませんでした。大女優だけあってとても腰の低い品がある素敵な方でした。ご家族も立派でいまでもお亡くなりになったときのことを鮮明に覚えているほどです。後日院内のそば屋で仲間と新聞を見ながらそばを食べていて、新珠さん慈恵で亡くなられたんだねと話していたら僕がお看取りした方だったと後でわかった次第です。

今度DVDが発売停止になる前に、寅さんのDVDを買って観ようかなと思います。

○2024年11月24日日曜日

今日は天気もよく、すがすがしい日です。あとでジムやウオーキングに行ってこようかな。写真は先日小名浜の高台で撮った写真です。晴れた日の穏やかな海は気持ちがいいです。

昨日福島県の医療DXについての研修会があり、事務員とともに聴講しました。感想を一言で言うと、これからの医療はデジタル、AIが中心となって大幅に医療形態が変わっていくのだろうなと感じました。いまや内視鏡診断もAIがやる時代になってきていますが、少なくとも内科診断や治療はAIがする時代がそこまで来ています。すべてロボットでやれる時代が来てもおかしくないです。膨大なデータに照らし合わせてロボットが診察して診断して投薬、副作用の説明などすることになるでしょう。個人情報も管理されるのでその人が過去にどういう病気をしているのか、どういう検査をしているのかなども全部ロボットが把握してくれます。ロボットが動いたり情報通信さえできる環境があれば人間より正しい診断や治療をするでしょう。淡々とした診療ではなく、そのうち感情も入ってきて、むしろ上から目線のいばった医者よりフレンドリーでいいかもしれません。手術もプログラミングができて、人間より安全でいい手術ができるようになるかもしれません。はたしてそれがいいのか悪いのかという倫理的な問題はあるでしょうが、実現可能かどうかと言うと可能なんだろうなと思います。福島県は今後10年で人口減少を来たし、さらに高齢化となるそうなのでそのときを見越した医療を考えていく必要があります。現状では人間の医師が診療をしているので、医師不足をどうやって改善するのかを行政は考える必要があります。医師があふれている都心から呼び込むのが一番理想ですが、個人個人では難しく、それならどこか大学病院と提携して附属病院を作って、他の病院と連携のとれた病院運営ができればいいと思うのですが、きっとそう簡単なことではないのでしょう。いまの医療センターもとても素晴らしい医師はいますが、全体として縦割りな印象を受けますし、ほかの病院も医師の専門性の問題もあって救命救急が継続しづらいような気がします。開業医もかかりつけ医としてやるには緊急の際の受け入れの病院がないと診療がストップしてしまいます。紹介状作成など今後AIの活用でスムーズになれば時間の短縮が可能になり、連携もスムーズになるでしょう。でもまだ時間がかかりそうですね。医療レベルの問題もあり、ある分野ではいわき内で完結することが困難と感じることが現実にはあります。幸いぼくは自分の土壌が東京なので、都内の腕利きの医師に紹介することができています。いわきは遠いと言ってもまだ東京にはアクセスしやすい環境にあります。いわき市内での公共交通機関がほぼ破綻しているので、車の運転をしないかたの移動手段の方がはるかに大変だと思います。そう考えると、県や市が広すぎるのも考え物だなあと思います。

さて、今日の音楽は、爽やかな天気なので爽やかな曲を。グランド・ファンク・レイルロードの「サリー( https://www.youtube.com/watch?v=fmf1H3rHMRU )」を。ギター・ボーカルのマーク・ファーナーの高音がしびれます。せっかくなので彼らを紹介します。もともと3人のトリオ編成のわりとハードな音楽をやっていて、途中からグランド・ファンクと名乗っていました。来日公演の後楽園球場での土砂降りの中でのコンサートは伝説になっています。その後キーボードが加わって4人になりました。ぼくが中学生の頃、奇才トッド・ラングレンをプロデューサーに迎えてだしたアルバム「アメリカン・バンド」が大ブレイクしました。かっこいい出だしのドラムの「アメリカン・バンド( https://www.youtube.com/watch?v=lMsIrKjSM6Y )」を。歌はドラムのドン・ブリューワーが歌っています。ぼくの高校時代のバンドでもやった曲で懐かしいです。その後「シャイニン・オン( https://www.youtube.com/watch?v=Ij9U8kyPIm0 )」や「ロコモーション( https://www.youtube.com/watch?v=FULmAxNS4hk )」が大ヒットしました。ロコモーションはもともとリトル・エヴァの曲ですが、なにげに歌っていたら、トッドがそれいいじゃんってことになり録音したのだそうです。全米1位になりました。1974年の年間ランキングでは6位になっています。その後路線がややソフトになってきて、「オー・ワンダフル( https://www.youtube.com/watch?v=NiaVYUdfAow )」「バット・タイム( https://www.youtube.com/watch?v=SwEUXNS-k2s  )」「テイク・ミー( https://www.youtube.com/watch?v=6hy_cXJy0f0 )」などヒットしました。解散直前になんとこれまた奇才のフランク・ザッパがプロデュース、ギターを弾いた曲があります( https://www.youtube.com/watch?v=JUau43oYvbQ )。ザッパのギターはかっこいいです。いまも彼らは再結成して活動しているようです。

ではまた。