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にむのひとりごとアーカイブ2021年12月~2022年3月

○2022年3月24日

本日、呉羽総合病院 婦人科部長の佐藤尚明先生がクリニックにいらっしゃいました。共通の患者さんを通じてわかったことですが、なんと同じ高校の出身でした。佐藤先生は、福岡県立小倉高等学校の3学年後輩にあたります。このいわきでまさか小倉高校のなかまにあえるなんてびっくりです。一緒に甲状腺の手術をしている常磐病院の乳腺外科の尾崎章彦先生も僕と同じ福岡県の私立明治学園中学校です。こういう偶然は必然なのかもと思っていて、出会いを大切にしたいと思います。

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○2022年3月13日

昨日久しぶりに仙台に行って研究会で発表をしてきました。開業して、60歳を過ぎた医者が症例報告をすることはあまりないと思いますが、ぼくの発表は臨床の現場での疑問点を投げかけて、それに対して何か知見を得られたらという思いでの発表なので、聴いている方も勉強になる様です。元気でいる間はこういう姿勢でいたいなと思っています。今年は花粉の量がすごくて、仙台では薬を飲んでもくしゃみばかりしていました。今日は久しぶりに何もない日曜日です。のんびりと本を読んだりして今パソコンに向かっています。

みなさんは、「きたやまおさむ」をご存じでしょうか。ピンときた方はおそらく60歳以上の方ではないかと思います。京都府立医科大学出身の精神科医で、精神分析を専門としている方です。九州大学の教授をされた後、現在は白鴎大学の学長をされています。彼は、医師としてよりもむしろ作詞家としての方が有名です。いわゆる二刀流ですね。最近彼の本を読んでいて、その中の「良い加減に生きる」という講談社現代新書の本がありますが、ぼくの考えととても似ているところがあってとても面白いです。1970年に大ヒットした杉田次郎のグループ、ジローズの「戦争を知らない子供たち」( https://www.youtube.com/watch?v=uY43S56vNAc )を作詞したのが彼です。今の世界情勢を鑑みて、第二次世界大戦後に生まれた世代のこの反戦歌を思い出したこともあって、きたやまおさむとその周辺についてつれづれに書こうと思います。

きたやまの出身校である京都府立医大は、戦前からぼくの出身校である慈恵医大とは、毎年運動部が大学を挙げて対戦する特別な大学です。ぼくのいたラグビー部は毎年夏合宿も一緒に菅平でやっていて、今でも京都府立医大のラグビー部のメンバーにはたくさん親友がいます。京都府立医大出身者には1980年の映画「ヒポクラテスたち」の映画監督の大森一樹監督などもいます。オウム真理教で死刑になった中川は、学生時代ぼくが慈恵の運動部長をしていた時の京都府立医大の柔道部にいて、とてもいい男でした。純粋な男だったので、きっとオウムに騙されてイニシエーションされてしまったのだろうと思います。

1965年きたやまが京都府立医大の1年生の時、龍谷大学にいた加藤和彦が男性ファッション雑誌「メンズクラブ」に、バンドの募集を出したところいきなり加藤の家にきたやまがきて、そこからザ・フォーク・クルセダーズがはじまりました。加藤は京都生まれですが、神奈川、東京で育ち、おじいさんが仏師だったこともあって仏教系大学の龍谷大学に行ったのだそうです。このアマチュアフォークバンドは、大学卒業とともに解散することになっていて、解散前に思い出として「ハレンチ」という自費のレコードを作成しました。借金で作ったレコードは売れるはずもなく、借金返済に困っていたところ、ラジオ関西のDJがたまたま面白いからと流した曲にリスナーからリクエストが殺到して、きたやまのところにプロデビューの話が来たようです。この曲があの有名な「帰って来たヨッパライ」( https://www.youtube.com/watch?v=9uuKAjfvUI8 )です。ぼくはちょうど小学校に上がる前だったと思いますが、ラジオから流れたこの曲を聴いてゲラゲラ笑って「おらは死んじまっただー」と歌っていた記憶があります。作詞はきたやまではなくて、当時仲良しだった作詞家の松山猛です。きたやまはこの曲では神様の声と木魚担当だったようです。よく聴くと「エリーゼのために」をバックに木魚をたたきながらビートルズの「ハードデイズナイト」の歌詞をお経風に唱えるお坊さん役のきたやまの声が聴けます。きたやまが加藤にプロの話を持ち掛けるも加藤は嫌がったそうですが、1年限定でと説得してプロデビューとなりました。しかし元のメンバーたちはそれぞれ就職したりして、結局新メンバーにはしだのりひこを迎えて活動を始めました。

ファーストシングルの「帰って来たヨッパライ」はミリオンシングルとなりました。つづくセカンドシングルとして、「イムジン河」( https://www.youtube.com/watch?v=1-eJDL3zLCQ )が発売されましたが、朝鮮総連から作詞・作曲者と正式な国名を入れないと発売は認められないと抗議が入ったため、レコード会社が自主的に発売中止を決定したといういわくつきの曲です。松山猛が京都での中学時代に、松山の中学との喧嘩に明け暮れていた京都朝鮮中高級学校の学生たちにサッカーの試合を申し込もうと朝鮮学校を訪れたとき、この曲を耳にしたことがきっかけだったようです。日本語版に改訳して、新たに書き加えた歌詞が南北の分断に疑問を訴える反戦の歌詞になっています。

このイムジン河に代わる曲を作らざるを得なくなって、セカンドシングルとして加藤が15分で作った曲が、あの1968年の名曲の「悲しくてやりきれない」( https://www.youtube.com/watch?v=XelkLDGMpGw )です。作詞は作家佐藤愛子の兄にあたるサトウハチローです。加藤和彦の天才ぶりがわかりますね。この曲も大好きな曲です。きたやま作詞・加藤作曲の「花の香りに」( https://www.youtube.com/watch?v=Koc_gxmyI1c )という素晴らしい曲もあります。

結局フォーク・クルセダーズは1年で約束通り解散し、きたやまは医学の道にもどり、はしだと加藤は音楽の道にとわかれました。きたやまはこの時代、多くの名曲の作詞をしています。ザ・スパイダースの解散後ソロの歌手になった堺正章の「さらば恋人(1971年)」( https://www.youtube.com/watch?v=rOggtqn0N_o )もその中の一つです。この曲は、初めから筒美京平が曲を作り、レコード会社からヒットを狙って歌詞にもふるさとというフレーズを入れてなどの注文があって、自然に作ったものではなく、改めてプロの作詞家にはなれないと感じたと本に書いてました。でも結局は自分の経験を歌詞にしていて、当時フォーク・クルセダーズとわかれた自分とスパイダースとわかれた堺と明らかに心の中で交流していたと振り返っています。きたやまがはしだのために1968年に書いた「風(はしだのりひことシューベルツ)」( https://www.youtube.com/watch?v=ugtGClQLUdQ )」が大ヒットし、つづけて1971年に書いた「花嫁(はしだのりひことクライマックス)」( https://www.youtube.com/watch?v=m_CFnreaOes )も大ヒットしました。きたやまの歌詞には、風やふるさとというフレーズが多く出て来ると自分でも本に書いてます。

「風」ではしだが大ヒットしていた時、加藤は嫉妬して、きたやまに作詞を依頼したそうです。きたやまの本には、加藤はフォーク・クルセダーズの頃はきたやまの作詞をそれほど認めてはいなかったらしく、はしだの「風」のヒットでようやくきたやまの作詞を認めたと書いてます。加藤からこの曲に歌詞を付けてほしいとテープが送られてきて、それを聴いたきたやまはあっという間に歌詞が思い浮かび、それを加藤の留守番電話に歌って残したところ、ありがとう、最高だよ最高とはしゃいで連絡があったと述懐しています。もともとはシモンズのデビュー曲として提供するために作った曲だったそうですが、シモンズには別の曲が用意されたため、加藤ときたやまで歌ったようです。シモンズの曲は、作詞作曲は別の人ですが、大ヒットして小学生だった僕はシングルレコードを買いました。1971年の「恋人もいないのに」と言う曲です。( https://www.youtube.com/watch?v=nGyw1PZAFRk )そして加藤ときたやまの作った曲が1971年の名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」( https://www.youtube.com/watch?v=vNEdh1TehTU )です。これは本当にいい曲ですね。精神科医で精神分析が専門のきたやまは、本の中であの愛とは何か、その人間心理を深く考察しています。興味がある方は読んでみると面白いですよ。

ほかにもベッツイ&クリスの1969年のヒット曲「白い色は恋人の色」( https://www.youtube.com/watch?v=BMkJjevfaiY ) も二人で作った曲です。やはり歌詞にはふるさとというフレーズがあります。

加藤はその後1971年に突然アコースティックからエレキになって日本のロック界を世界に知らしめた、スーパーバンド、加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンドを結成します。とにかくメンバーがすごすぎます。ギター・ボーカル:加藤和彦、ボーカル:加藤ミカ、リードギター:高中正義、ベース:小原礼(後に後藤次利に)、キーボード:今井裕、ドラム:高橋幸宏です。初代ドラムは、「メリー・ジェーン」( https://www.youtube.com/watch?v=u1O8qMZMmZw )という曲で有名になったつのだひろでしたが、すぐに幸宏に代わりました。幸宏はミカバンドのあと、加藤とミカが抜けたサディスティックスを経て、坂本龍一と細野晴臣とYMOを結成して大ブレイクしました。サディスティック・ミカ・バンドは日本よりも外国でヒットして日本は逆輸入みたいな感じで人気が出ました。代表曲の1974年の「タイムマシンにお願い」は大好きな曲です。歌詞は松山猛です。( https://www.youtube.com/watch?v=b8ATGykcyYg )解散の後、桐島かれん、木村カエラをボーカルに迎えて2度再結成してしています。

加藤は、ミカと別れた後作詞家の安井かずみと結婚し、ソロ活動を始めます。きたやまと違って女性目線で現実的でおしゃれな歌詞が多く、加藤の楽曲も洗練されたものが多くなりました。「あの頃、マリー・ローランサン」という1983年のアルバムは素晴らしく、ぼくはレコード、CDも持っています。バックメンバーも幸宏や坂本龍一、矢野顕子など気心が知れた一流メンバーで作られていて、とても心地よい作品群です。きたやまは、安井かずみに対して加藤をめぐって新たな三角関係のライバルになったと述懐しています。ジャケットは金子國義の絵を使用しています。ぼくは日本の画家では小磯良平、東郷青児、金子國義が好きですが、彼は好きな画家のひとりです。「O嬢の物語」の翻訳をしていたフランス文学者の澁澤龍彦の挿絵を依頼されてブレイクしました。澁澤龍彦は東大文学部を卒業後、世界悪女物語だとか、マルキ・ド・サドや黒魔術など少しおどろおどろした内容の作品が多いのですが、一時好きで読んでいました。1987年に慈恵医大病院で亡くなっています。ぼくはこの年に慈恵医大を卒業しています。いろんなところでつながっていてびっくりしました。金子國義はコシノジュンコと仲良しで、コシノと仲の良かった安井かずみを通じて加藤と出会ったようです。「あの頃、マリー・ローランサン」( https://www.youtube.com/watch?v=5HaktDTVgsU&list=PLcG06rfr7HJBL2Mlef_1FenZ68Z-Tkn2a )は曲も歌詞も素敵な曲です。このアルバムには「女優志願」( https://www.youtube.com/watch?v=1p_S6mY0iYc )という曲が入っていますが、イントロが当時好きだったキッド・クレオールの「ダリオ」という曲のイントロにそっくりです。多分パクリですね。( https://www.youtube.com/watch?v=zhWCR9DdXR8 )加藤の曲はCMにも使われています。この曲は、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。( https://www.youtube.com/watch?v=jlOYIwOTiCg )ナショナル住宅(現パナホーム)のCMです。

2000年に入って、きたやまと加藤はフォーク・クルセダーズの大ファンのアルフィーの坂崎幸之助をはしだのかわりに加えてフォーク・クルセダーズを再結成しました。はしだは病気を患っていたそうで、この時誘うことができなかったときたやまの本に書いてました。はしだは、亡くなる前に一度だけ娘さんの押す車いすにのって、きたやまらとコンサートで「風」を歌ったのだそうです。そしてその後、音楽に対して完璧主義者だった加藤は自殺をしてしまいます。精神科医だったきたやまは、彼を救えなかったと自責の念を感じたと書いてました。

こうやってみてみると、1960年後半から1970年前半は、外国ではビートルズが解散して多くのロックバンドがでてきましたが、日本でも彼らの様にフォークを中心に素晴らしいミュージシャンが出てきた時代でした。古い時代の事ですが、きたやまおさむの本を読みながら、彼に関連する音楽についていろいろ書いてみました。

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〇2022年2月27日

クリニックで快適な音楽を奏でてくれている「ゴンチチ」について書こうと思っていましたが、それは次回にさせていただきます。

ニュースで今の世界の状況をみて、ここ数日気持ちが落ち込んで、吐き気すら覚えます。いかに独裁的な人間が愚かなのものであるかを改めて感じます。新型コロナのパンデミックの時にユヴァル・ノア・ハラリ先生がテレビのインタビューで話していた事を思い出したのでそれを載せますね( https://www.youtube.com/watch?v=qY1WO6nRivM )。今のプーチン大統領がやっている事を予想し、人類が滅亡しないためにどのようにする必要があるのかをわかりやすく話しています。20分程度の番組なので、観ていなかった方は是非観てみてください。僕はもともとノンポリで、ジョン・レノンじゃないけれど「愛こそはすべて」と思っていて、利己的(エゴ)ではなく利他的な生き方を良しとしている人間です。だから医者が自分にはあっていると思ってこれまでやってきました。ラグビーという競技が好きで、学生時代にのめりこんだのも、自己犠牲にのっとり、みんなで力を合わせて戦い、しかも試合後は「ノーサイド」でお互いが相手をたたえあって乾杯するという精神に惹かれたためです。武力や言葉の力で人間を抑え込んでも何一つ平和は訪れないでしょう。地球は、そういう愚かな人間のために、地球上の他の何の罪もない生き物まで巻き添えにされて滅亡に追いやられていくのではないでしょうか。現在生きている人間は、なにもなくても寿命があるので確実に死んでいくわけですが、残された子孫は、はるかに大変な人生を歩まなくてはいけないのではないかと危惧しています。ハラリ先生も、この先20年後の世界がどうなっているのか、まったくわからないと話しています。そういう時代に僕らは生きています。

産業革命以降、人類の便利さと反比例して地球上の生き物が住めなくなる環境にしていった人類の代償はあまりにも大きいと思います。このウイルスのパンデミックでなにも学習できていない独裁者が世界にはびこっている限りは、地球に平和は訪れないのではないでしょうか。

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〇2022年2月13日

今日は天気が良くて気持ちのいい日曜日です。明日は2月14日バレンタインデーですが、僕の60歳の誕生日でもあります。60歳という実感が全くなくて、これまでの自分の生きざまを少しかえりみたりしてました。30代のころ、バルバロスと言う浅草の老舗サンバチームにいましたが、大好きだったリーダーの高橋さんが、「にむさん、35歳を過ぎると体力が落ちるよー。40歳過ぎたらガクッとさらに体力が落ちるよー。」と言っていたのを思い出します。その頃60歳の自分は想像できませんでした。まさかいわきで開業するとは想像もしていませんでした。今では筋肉は落ちるし腰は痛いし体力なくなるし体重は増えるし、体としてはいいことは何一つないように思います。でも精神は若い頃の自分より、今の自分の方が何倍も好きです。男子の友達はたくさんいましたが、医者になりたくて勉強中心の生活を送っていた中学高校時代は、同級生の女子と話をしたことがないいびつな思春期を過ごしていて、大学に入っても女性とどう接していいのかわからず、また医者になってからもまともな付き合いができないで年を重ねて行ったことが思い出されます。今ではようやくまともな精神ができたように思いますが、やはりしかるべき歳で異性に接していないと人間成熟できないなと感じます。僕の場合人より大幅に遅れていろんな経験をしてようやく今にいたったという感じです。よっちゃんは同じ高校出身で、あらかた僕の生きざまを知っていて理解してくれている親友ですが、よく「にむちゃん、自伝書いたら面白いよ」と言ってくれます。でもとても書けるものではなく、やはりこういうことは死ぬまで心の中にしまっておくべきものではないかと思います。島崎藤村とか太宰治とか昔の一流の作家は私小説で自分の事をさらけ出していますが、一般人はそっと胸にしまっておくのがいいのでしょう。よっちゃんには話したけど。
そんなことを考えていた時、以前おふくろに頼んで自分のルーツをまとめてもらった事を思い出しました。資料別で166頁になる「二村について」という冊子です。それこそ1500年代のころからのことがまとめられている二村にとってはなかなかの歴史をまとめたものですが、資料が残っていることに加えて、うちが3代前から写真館を営んでいたために明治時代から貴重な写真がたくさん残っていて、それがとても役立ちました。ひいおじいさんやひいおばあさんの写真もあり、二村に関する一人一人の紹介が写真付きで書かれています。おふくろは嫁に来た立場なのによくぞここまでまとめてくれたもんだと感心するし感謝しています。いつまで二村が続くのかわかりませんが、こういう資料は先の子孫にとってはある意味重要な資料になるのではないかと思います。伊能忠敬、森鴎外との関係、親戚には八甲田山雪中行軍で献身的に医者として働いた後藤幾太郎、あと東条英機などいろんな人がいます。僕の代で福岡の実家を手放して出て来たので、せめてもの罪滅ぼしです。読み返して感じることは、栄枯盛衰ということです。やはり人一人が志を持って生きていかないといくら土地とかお金とか持っていてもそんなものは大した価値ではないという事を教えられたように思います。そのなかに、おやじの基本的な子供に対する考え方が書いてありました。
 一、 自分の人生は自分で決める。好きな様に自由に生きてほしい。

 一、 好きこそものの上手なれ。
 一、 人間至る処に青山有り。
 一、 美田は残さないが身にはつける。
 一、 親であろうと生き方を押し付けることは出来ない(助言は出来ても)。
というものです。このおやじの考えのおかげで今の自分がいると実感しています。今更ですが、感謝しかないです。ちなみにこの冊子は、おふくろ、姉、弟、息子、自分の5冊のみ作成したものです。SDカードに写真など含めて資料も入れてあるから、それさえあれば子孫には伝わっていくかなと思ってます。

僕自身、あと何年生きれるのか神様しかわかりませんが、生きてきてよかったと感じれるように後悔しない生き方を続けられたらと思います。重い体に鞭打って、これからウオーキングに行ってきます。
世界中が幸せで地球にやさしい世の中でありますようにと祈りながら。

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2022年1月22日

僕は18歳の時に目覚めたブラジル音楽が今でも大好きです。中でもカエターノ・ヴェローゾが好きです。2016年リオ・オリンピック開会式のラストに登場した3人の歌手のうちの1人です。現在79歳でありながら数日前に「メウ・ココ」という新譜を発表しました。3人の息子たちとオリジナルの楽曲を演奏していて、この人のこの気力はいったいどこから来るんだろうと驚いてしまいます。カエターノは張りのある済んだきれいな声で、いろんなジャンルの音楽やリズムをどん欲に取り入れてこれまでかなり多くのアルバムを発表してきました。昔ブラジルが軍事政権にのっとられた1968年には、「禁止することを禁止する」というかなり政治色の強い歌を歌って拘束され、その後盟友ジルベルト・ジルとロンドンに亡命したこともあります。ビートルズやサイケデリック音楽にも影響を受けて、トロピカリズモという一風変わった芸術活動を展開したりしました。もともと映画監督になりたかったらしく、曲によってはサントラの様に風景が思い浮かぶような美しい曲もあります。彼独特の曲調があって、欧米や日本のロック・ポップスにはないもので、それがブラジル特有のリズム、サンバであったりアフロ・ブラジルであったりボサノヴァであったりといろんなリズムとマッチして、聴いているとぞくぞくしてしまいます。とにかくサビがたまりません。ライヴでの演出も素晴らしいです。来日した時、1回だけライヴを観に行ったことがありますが、最高でした。

おそらくこれまで60枚以上のアルバムを出していて、大体全部持ってはいますが、すべての曲を聴きこんでいるわけではありません。その中で特に好きな曲を5曲ピックアップしてみました。アルバムでは、「リーヴロ」と、ジルベルト・ジルとの共作の「トロピカリア2」が僕の中ではベストです。とにかく知的で色っぽくて、最高のミュージシャンです。

1曲目と2曲目は、1997年のアルバム「リーヴロ」の中の曲です。Os Passistas(ライヴ https://www.youtube.com/watch?v=-Vgsu2iOHMo ) (原曲 https://www.youtube.com/watch?v=EE-5cwp0VRM ) とNao Enche(ライヴ https://www.youtube.com/watch?v=Mqx8fe7v7po )(原曲 https://www.youtube.com/watch?v=CSt3z_-_0ZU )です。バックのチンバウ集団のアフロ・ブラジルのリズムが超かっこいいです。坂本龍一などとも交流のあるチェロのジャキス・モレレンバウムもカエターノと一緒にやるようになって一躍有名になりました。3曲目はアート・リンゼイが1991年にプロデュースした「シルクラドー」からNeide Candolinaです。アルバムでこの曲を坂本龍一がサンプリングとキーボードを担当してます。(ライヴ  https://www.youtube.com/watch?v=AUi2iU6gRJk )(原曲 https://www.youtube.com/watch?v=R5zIrRVh6Js )。4曲目はジルベルト・ジルとの1993年の共作アルバム「トロピカリア2」から Haitiです。このおどろおどろじたラップでの始まりから、急に展開する曲調やジャキスのチェロ、曲の終わりのチンバウのリズムといい、ほんと天才です(ライヴ  https://www.youtube.com/watch?v=msY-dNJlXWA )(原曲 https://www.youtube.com/watch?v=o90x2e98IdA )。最後5曲目に、1979年のアルバム「シネマ・トランゼンセンタル」に入っているとても美しい曲のTrilhos Urbanosです。この曲も展開が面白くてぞくぞくします。最近のビデオで、クラリネットとアコースティックギター1本でのライヴがとても気持ちいいです(ライヴ https://www.youtube.com/watch?v=dhyz3Y2CBkw )(原曲 https://www.youtube.com/watch?v=a7dqB6ooD8c )。

もし興味があったら、聴いてみてくださいね。僕はこういう音楽が好きです。

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2021年12月18日

いわき市医師会報から何か書いてくださいと依頼があったので、こんなことを書いてみました。

​ ここをクリックしてください。

2021年12月16日

年の瀬も近づいて、寒さが増してきましたね。あっという間に2021年が過ぎた気がします。音楽に関しては、いくつかの1970年前後のロックが50周年と題してリマスターされています。特にビートルズのアルバム「レット・イット・ビー」のための膨大な記録映像を3部作としてまとめた「ゲット。バック」は見ごたえがありました。特にルーフトップコンサートは、その流れで観るといかにすごいバンドだったのかがよくわかりました。特にびっくりしたのは、徐々に名曲が作られていく過程や一発どりのレコーディングなど今では考えられないことをやってのけていたことです。

この12月前後には同様に昔のスターたちの新しい曲が発表されていて個人的には嬉しい限りです。特に歌手として大好きな3人のうち2人、ロバート・プラントとカエターノ・ヴェローゾのアルバムはたまりません。

ロバート・プラントは大好きなレッド・ツエッペリンのボーカルで、イギリスでの過去100年の最高のボーカリストに選ばれています。ハードロックの覇者の彼が、驚いたことに14年前にカントリーミュージックのミューズ、アニソン・クラウスとデュオをして、カントリー部門でグラミー賞を取りました。そして、14年ぶりにまた彼女と素晴らしい音楽を届けてくれました。大人の魅力たっぷりで、バックの演奏もかっこいいです。このホームコンサート、最高です!

https://www.youtube.com/watch?v=srn5Cd9yR3Y

カエターノ・ヴェローゾはブラジル音楽で一番好きな人ですが、とにかく声が素晴らしい。いろんな種類の音楽を息子たちとやったり、とにかく知的で精力的です。このプロモーションビデオは、軽快なサンバですが、これも大人の魅力たっぷりで超かっこいいです。横でマッチ箱をたたいてますが、ブラジルの粋な男が酒場でサンバを歌いながら飲んだりリズムをとったりするときに楽器の代わりにマッチ箱やお皿を使ったりします。日本だと酔っぱらってお箸でお皿をたたくような感じですね。

https://www.youtube.com/watch?v=lNQKKHI2a9w

先日キング・クリムゾンが来日して、ファンの間では大盛り上がりを見せていましたが、プログレッシヴ・ロックは昔から好きでした。プログレの中でほとんど聴いていなかったバンドのルネッサンスを偶然聞いたところ、アニー・ハズラムの声がとても美しくてびっくりしました。ルネッサンスは、デビューはエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジがいたヤードバーズ(のちにジミー・ペイジがレッド・ツエッペリンに)をやめたキース・レルフとジム・マッカ―ティが創ったバンドですが、途中メンバーがすべて変わったというバンドです。アニー・ハズラムの声域の広さに圧倒されます。

https://www.youtube.com/watch?v=2A3bb47J3xU

わがままな音楽紹介ですが、またご紹介したいと思います。

 

〇2021年10月17日

平日はなんだかんだ帰ったらゆっくりする時間もなく、9時半過ぎには眠くなって寝てしまうことが多くなっています。ゆっくりできるのは日曜日くらいですが、最近家でゴロゴロすることが多くて、ひとりでいるときに本を読んだり難しいナンプレに挑戦したり、ユーチューブで大谷選手の動画を観たり(今は大谷ロスです)音楽の動画を観たりしています。

 

僕のクリニックでいつも流している音楽のGONTITIのユーチューブでのおしゃべりが好きでよく聞いてます。彼らはゴンザレス三上とチチ松村という大阪出身の純粋な日本人です。もともとNTTの職員だった方です。音楽だけでなく趣味やおしゃべりがとても味があって昔から大好きです。ユーチューブで「ゴンチチのおしゃべり三昧」と題してノートーク、ノーゴンチチというラジオ的なおしゃべりが聴けますのでよかったら聴いてみてください。

(https://www.youtube.com/watch?v=_8lU7P9LerQ)

 

開院時にホームページの中の趣味の欄で書ききれなかった好きな音楽について少し追加します。いろんなジャンルの音楽が好きで聴いていますが、おすすめというか、かってに僕が好きなだけですがいくつかご紹介します。

 

まずは、石垣島出身でもと市役所に勤務しながら活動をされていた、沖縄民謡歌手の大工哲弘さんの長谷川チンドン社やジャズの坂田明さんらと録音した「東京節」です。昔からいろんな東京節がありますが、大工哲弘さんの歌声とチンドンによるこの東京節が最高だと思います。(https://www.youtube.com/watch?v=Xn4AW8wgjoA

レトロな日本をひしひしと感じる曲です。

 

次に、レッドツエッペリンの初期の頃のドキュメンタリー映画「Becoming Led Zeppelin」が先日ベネチアの映画祭で話題になっていましたが、ツエッペリンの中で一番好きな曲をアップします。以前「移民の歌」のライヴをアップしましたが、リアルタイムでレコードを聴いていたときの2枚組アルバム「フィジカルグラフィティ」のなかの「カシミール」が大好きです。何百回聴いたかわかりませんが、エキゾチックでとてもドラマチックな曲です。(https://www.youtube.com/watch?v=gEYqSorzOZs

 

シンコーミュージックムックのAOR AGEという雑誌が先日特集していましたが、最近、スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンが、スティーリー・ダンとソロと二つの昔のライヴのCDを出しました。このライヴ盤にも収録されていますが、アルバム「ガウチョ」に入っている「グラマー・プロフェッション」ろいう曲がたまらなくかっこよくて大好きです。ホームページに紹介したのは名曲「エイジャ」ですが、個人的には「グラマー・プロフェッション」の方が好きです。「エイジャ」で超絶なドラムソロを聴かせたスティーヴ・ガッドが、この曲では抑えに抑えて叩いていて、それがめちゃくちゃかっこいいのです。アンソニー・ジャクソンのベースラインも最高です。曲の終わりの頃のリフレインでのスティーヴ・カーンのギターソロの絡みも最高です。(https://www.youtube.com/watch?v=EPIaw-MgNzM

 

今回は大好きなこの3曲をアップしてみました。ときどき好きな曲などをアップさせていただきますね。では。 にむ 

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