にむのひとりごとアーカイブ
○2025年3月10日月曜日
明日は東日本大震災からちょうど14年目に当たる日ですね。あの日、僕はいわきに来て2年目で、松村総合病院に勤務していて、ちょうど仙台に行く用事があって、ひたちに乗る予定でした。風が強くて、特急スーパーひたちでは途中でとまるんじゃないかと思って初めて高速バスで郡山に向かい、新幹線に乗って仙台に行こうとしていました。郡山駅の近くの橋の上でバスに乗った状態で被災しました。もしひたちに乗っていたら津波にのまれていました。郡山駅からタクシーでシェアしながらいわきに帰ってきたのは夜の9時過ぎでした。慈恵医大からバイトに来ていた仲間はみんな戻れなくて、病院に泊まって患者を診ていたことを昨日のように思い出します。あのとき僕は49歳だったんだな。家族ともなかなか携帯電話が通じない中、一番最初に心配して電話を下さったのが、DJの小林克也さんでした。あれから14年も経つんだなあ。息子は10歳だったと思います。病院から薬がなくなって、入院していた重症患者さんをヘリコプターで慈恵医大柏病院に搬送して、その後川口市の自宅に帰りました。風呂に入ってから、息子も一緒に家族でスーパーに行っていわきに届ける食料やお菓子や水を買って、自宅の車に積み込んで、ガソリンを入れて、警察署で高速を走れる許可書をもらって1人で地震でぐちゃめちゃな常磐道を通って松村総合病院に向かったことを思い出しました。
先日息子の大学卒業祝いと義理の弟の退職祝いで栃木県の益子町のホテル益子館に行ってきました。僕はひたちで水戸に行き、ときわに乗り換えて友部へ行き、水戸線に乗って岩瀬で下車してタクシーで向かいました。みんなで陶芸体験をしようということで益子町に行くことになりました。何にも無いところで、温泉に入ってご飯を食べて、部屋で持ってきたお酒を飲んで朝まで爆睡しました。夜雪が降って、朝雪景色が綺麗でした。でも暖かくなったため昼までにあっという間に溶けちゃいました。
益子焼の窯元よこやまさんのところで陶芸体験をしました。電動のろくろは初めてで、面白かったのですが、薄くしすぎて僕だけ三度も失敗しました。息子は結構器用にちゃくちゃくと食器を作っていました。後で僕が真剣に作っている写真に人間国宝二村浩史といたずら書きをして喜んでました。自分の真剣な顔は、思ったよりひどい顔で、見たくないもんですね。焼き物ができあがるのが楽しみです。いわきにも窯元があったら、きっと僕は毎日はまると思いました。
それから、帰る途中、ましこ道の駅でイチゴや野菜など買い物をしてから、真岡方面に向かいました。真岡でうまいそば屋があると息子が調べていて、「志奈乃」というお店に行きました。ちたけそばが美味しいらしく、ぼくも食べましたが、いい出汁が出ていて美味しかったです。ちちたけとも言われるきのこだそうです。かき揚げそばは揚げたてで、しかも汁が本当に美味しくて、いわきにもこういう美味しいおそば屋さんがあったら毎日行くのになと思いました。近くの大前神社で骨董市をやっていて、立ち寄りました。息子は安い益子焼の食器を買ってました。神社には日本で一番大きな大黒様がいました。でもなんかあんまりありがたくないできばえでしたね。お守りや御朱印を買いました。
帰りに東北自動車道の羽生サービスエリアの上り線にのみある鬼平犯科帳の町並みを再現したところに立ち寄りました。しゃも鍋の五鉄も再現されていて、池波正太郎ファンとしては楽しい場所でした。
ぼくは上野からひたちでいわきへ戻り、道の駅で買ったかぶやせりを使ってポトフを作ってから寝ました。
今日からまた日常に戻りましたが、元気に頑張ろうと思います。
○2025年2月16日日曜日
今日は晴天で気持ちがいい日です。いまお昼ですが、まだ家にいます。外に出たいのですが、車を運転しないのでどうしようか悩んでいます。いわきは東京のように交通機関が発達していないから、車がないとなかなか気軽に行きたいところにいけません。昔サンバのバルバロスに所属していた頃は、日曜日はエンサイオ(練習)で、そのあと仲間と飲んで飯食ってという週末を過ごしていました。今になってあの頃がものすごく懐かしいです。いまふらっと東京に行ってバルバロスのエンサイオに参加しても、知らない人ばかりだろうし、多分敷居が高く、昔のように和気藹々と行った感じにはなれないような気がします。今は、昭和のほどよくいい加減な、なんとかなるさという気楽なご時世ではなくなって、なにかすればすぐにSNSに誹謗中傷を書き込まれるという時代のためか、僕自身も人間としてのスケールが小さくなっている気がします。昔なら、なにをやっても面白いねーとかいいねーとかみんな前向きでした。開業してからほぼほぼいわきにいて、仕事して飯食って飲んで寝ての日々です。やっぱりバルバロスのような仕事とは別の仲間たちが心のよりどころとして必要なんじゃないかと思います。以前いわきでいわきベレーザというサンバチームを立ち上げましたが、仕事仲間が多かったことや、東京から来てもらっているバルバロスの仲間の交通費宿泊費などのこともあってうまくいきませんでした。息子が所属していた埼玉県川口市の少年ラグビーチームの仲間もいましたが、僕自身参加していた日が浅かったことや、自分が医者であることに対してなんとなくですが受け入れてくれないような人もいた気がします。その点バルバロスは愛するサンバをみんなで真剣にやっていたし、くだらないことも真剣にやって盛り上がっていた素晴らしいチームでした。それぞれに思いやりがありましたね。特に亡くなられたリーダーの髙橋さんの存在は本当に大きかったと思います。滅私奉公、利他的という言葉がぴったりの江戸っ子でした。あこがれの人でした。ホームページを担当してくれているようじも当時からの仲間なので、きっと僕の気持ちは理解してくれるんじゃないかな。(ね?ようじ。)
本来がざっくりといいかげんな人間(仕事とかやるべきことはしっかりやりますよ)な僕も、やとわれではなく開業して、経営者の立場となり、きちっとしないといけないことが増えました。その辺はひるちゃんがいつもしっかりとサポートしてくれていますが、どうも僕は自分にも他人にも甘い性格なので、今の時代の経営者には本当は向いていないと思います。
2月14日に誕生日を迎え、63歳になりました。誕生日にひるちゃんからいただいたヨーグルトケーキ、美味しかったなー。ありがとうございました。63歳というと、まだまだこれからという人もいますが、世間では定年の年齢前後です。ここにきて体にもいくつかがたがきていて、昔のように猪突猛進ではありません。一番困るのは目が悪くなっていることです。大好きな読書も時々本が見づらく感じることがあります。仕事に支障を来すほど目が悪くなったときが外科医としてメスを置くときだと決めています。それに、この60代という年代は、一番病気になりやすい頃です。個人経営のクリニックですので何かあったときはクリニックを閉じざるをえません。最近、どういうときにクリニックを閉じないといけないかということを、リスクマネージメントの一つとして考えています。そのシチュエーションは可能性として3つありますが、ここでは書くようなことではないから伏せておきます。そういった際に困ることも3つあります。ざっくりいうと、患者さんの行き先、従業員の行き先、借金対策です。これもいろいろ考えています。ネガティブに考えず、なにごともリスクマネージメントは必要ですので、ポジティブに考えて準備が必要かなと思います。そういう意味では常磐病院の尾崎先生が甲状腺外科医として急成長してくれたことは本当にありがたいと思っています。来年には専門医試験が受けられるので専門医、指導医をとれば、甲状腺外科に関しては僕がいなくても大丈夫だと思います。甲状腺内科に関しては、いわき市内でこの先生にと思っている方がいらっしゃるので、時期をみてお会いして、何かあった際には患者さんをお願いしますとお話ししようかと思っています。お金に関しては、税理士さんや保険会社、銀行に確認しておこうと思っています。そうすれば、いつなにがあっても安心かなと思います。
一番の親友のよっちゃんは、東京にいるのでなかなか会えませんが、時間を作って会いに行きたいと思います。それといまの僕の人間としての幹の部分である小倉高校3年7組の先生や仲間にもまた会いに行きたいです。
先日仙台の学会にクリニックの職員みんなで行ってきました。雪が凄くて大変でした。息子も参加したので、朝仙台の市場に行って食材を買い、いわきに戻ってからたくさん美味しい食事を作ってくれました。抜群に美味しかったです。メニューは、生春巻き、フィリピン料理のシシグ、お刺身盛り合わせ、ブリの刺身、マグロ希少部位(脳天、あご)、生しらすの刺身、鯨のタルタル、トムヤムラーメンです。そのあとトムヤムライス、翌日には菜の花とホタルイカのパスタを作ってくれました。めっちゃうまかったです。いま冷凍庫にあまったレモングラスと、コブミカンの葉がたくさんあります。僕にはうまく使えないけどとりあえず冷凍庫に入れています。常磐医学会では2年ぶりに発表しました。甲状腺診療でのポイントを専門医の立場から話しましたが、たった5分でしたので、十分理解できなかったと思います。いわき市医師会報に後日抄録が載るので、興味がある先生はきっと読んで参考にしてくれると思っています。その内容はホームページの業績のところに添付しました。専門的ですが興味がある方は読んでみてね。
その後、母が白水阿弥陀堂に行ってみたいと言っていたことや、なかなか施設にいると外出外泊はできないので、白水阿弥陀堂へ連れて行きました。夜は湯本のパームスプリングスホテルに泊まりました。なかなか親孝行できないので連れて行けてよかったです。父の親友の博多の杉田写真館の社長から、福岡の施設で撮った母の写真を送っていただきました。本当に素晴らしい写真で、やっぱりプロが撮る写真は違うなと思いました。父の親友には著名な写真家が何人かいます。一番は昨年90歳でお亡くなりになった細江英公さん( https://ja.wikipedia.org/wiki/細江英公 )です。若い頃の写真です。左が細江氏、右が父です。父が存命のときに、細江さんとOBとして東京工芸大学の学生に白黒を中心とした写真の賞をつくってお金を出していたと以前記事を読んだことがあります。父もとてもいい写真を撮っていました。こういう若手の育成に一生懸命だったことを父の死後に知って誇りに思ったことを思い出しました。細江さんはアングラ舞踏家の土方巽さんの写真(「かまいたち」)や三島由紀夫さんの写真(「薔薇刑」)で一世を風靡しました。
僕は大学のころ、舞踏集団の山海塾が大好きで、渋谷のシアターコクーンに4日連続で違う演目をやった際に毎日見に行きました。ユーチューブに当時もやっていた「UNETSU(https://www.youtube.com/watch?v=uz1ImpJ5Y6o&list=PL78mkJJE4KMPN-WWfBLVJSB65IxsCG3f3&index=2 )があったのでアップしました。いまでもやっていると知りました。また観てみたいです。音響はYAS-KAZが担当していて素晴らしい音楽です。このときシアターコクーンでサントラのCDを4枚購入しました。いまでも時々夜に聴くことがあります。舞踏は意味不明だけど何か引きつけるものがあって今でも大好きですが、大げさな舞踏は好きでは無く、山海塾のような洗練されたものが好きです。しかし、その舞踏も創始者である土方巽さんや大野一雄さんをぬきにしては語れません。土方さん、細江さん、澁澤さんのテレビ番組があったのでアップします( https://www.youtube.com/watch?v=xcRLzQT_ne0 )。澁澤龍彦さんと細江さんが、交流があったとは知りませんでした。偶然ですが、澁澤さんの「世界悪女物語」など好きな本です。人間の狂気を事実に基づいて書いていて、読んだとき衝撃を受けたことを覚えています。彼はいわゆる中世のどろどろしたゆがんだ世界、サドマゾのサド侯爵などを研究したフランス文学者ですが、土方さんや細江さん、三島さんとも交流があったとは知りませんでした。また、大好きな画家の金子國義ともつながっていて、当時の芸術家たちの関係性が面白いというか凄すぎてびっくりです。金子さんの絵が好きになったきっかけは、加藤和彦のアルバムジャケットからです( https://www.youtube.com/watch?v=5HaktDTVgsU )。曲も大好きで、奥さんだった安井かずみの歌詞、バックメンバーも素晴らしくて素晴らしいアルバムです。いまでもそのレコードを大切に持っています。確か安井さんの仲良しのコシノジュンコさんが金子さんに加藤さんのアルバムジャケットイラストをお願いしたんじゃなかったかな。みんなつながっていて面白いです。
昨日は息子が作り置きしてくれたガバオライスとトムヤムクンをいただきました。トムヤムクンには冷凍エビとイカ、かまぼこ、レモングラスをいれてナンプラーで味を調えました。めっちゃ美味しかったです。今朝は朝からせり鍋を作り、朝、昼といただきました。夜もこれで済ませようと思います。
○2025年2月2日日曜日節分の日
今日は身に染み入るような寒さですね。昨日、今日で久しぶりに川口の家に戻る予定でしたが、関東は今日雨から雪に変わるかもしれないとのことでしたので、いわきで過ごすことにしました。年が明けてからこの1ヶ月は、いろんなことがあって、本当に心身ともにヘトヘトになりました。肩から首もコリコリになっていたので、昨日仕事が終わってから、肩から眼のリンパマッサージを受けてきました。緑内障の点眼薬で伸びてくる睫毛で手術のとき見づらくなるため、いつもは睫毛パーマをしてから睫毛カットをしてもらった後にリンパマッサージをしてもらっています。先日あまりに伸びてしまったので睫毛をクリニックで切ってもらいました。なので、昨日はマッサージのみにしてもらいました。おかげですっきりしました。帰り道にある中華屋さんで、夕食に五目あんかけかた焼きそばを食べましたが、あまり僕の口には合いませんでした。駅前の鳳翔のかた焼きそば、結構好きなので今度鳳翔でリベンジしてきます。
そんなわけで久々に家でゆっくりしています。朝はパンを焼いて、辛子マヨネーズをつけて、クリームチーズ、ベーコン、卵焼き、キュウリ、トマト、ブロッコリーをのせて、インスタントのスープと一緒に食べました。美味しかったです。1月から毎月1kg減量を目標にしています。いまのところ2kg減ったので、2月も1kg減をめざします。減っていくに従ってだんだん減りづらくなるので頑張ります。ベニマルとマルトで買ったバリラのジェノベーゼソースとパスタを使って昼ご飯を作って食べようかなと思っています。生バジルも買ってきました。火曜日に届く予定のイタリアンのレシピ本「めちゃ旨ボンジョルノ」の作者で、フィレンツェで料理人をしているとしさんが、ユーチューブの中でパスタはバリラが美味しいっていつもいっているので、今回もバリラのものを使います。夜はご飯を炊いて、鮭のほぐし身や明太子で簡単に済ませるつもりです。
先日母の荷物から読み終わった本を持って帰りました。いずれも以前に読んだ本ですが、もう一回読んでみたくて昨日から読み始めました。須賀川市出身の時代小説家の風野真知雄さんの「妻は、くノ一」シリーズです。池波正太郎、高田郁の次に好きな作家です。久しぶりに読むと、かなり内容を忘れていて、おかげで新鮮に読めています。先ほどテレビでフジテレビ問題などやっていて、現代はこういうメディア報道やSNSなど情報があふれかえっていて、また世相もハラスメントや誹謗中傷が多くて本当にやっかいな世の中になってきたと感じます。そういった意味でも、絵画や本は、人から押しつけられるのでは無く自分で感じる世界であり、想像して喜怒哀楽を感じることができる素晴らしいものだと思います。特に時代小説は、時間が慌ただしくない分人情味があるし、情報や連絡のツールがないからはらはらどきどきすることも多いですが、今より人間の感性が豊かだったんだなと感じますね。読み返しはじめてまだ間もないけれど、心に染み渡る文がいくつかありました。本から勇気をもらったり、気持ちがすっきりすることは多々あります。今夜も読むのが楽しみです。
昨日えのもっちゃんから、大好きなレッドツェッペリンのかなりマニアックな本が発売されたと、作者の和久井さんの僕宛のサイン入りの本をいただきました。さっそくそれも読みましたが、びっくりするくらい細かい情報が詰め込まれていて面白かったです。えのもっちゃんありがとう!明日郵便受けに同じくレッドツェッペリンのドラマーのジョン・ボーナムの本が届きます。ハチャメチャな人生を送った人ですが、大好きなドラマーなので読むのが楽しみです。
来週は年に1回の病院旅行としてクリニックの仲間みんなで仙台の学会に行って来ます。そのあと常磐医学会で発表してきます。また明日から元気に頑張りましょう。
○2025年1月26日日曜日
本日のひとりごと第2弾です。どうしても書きたくて今までかけなかったレッドツェッペリンについて書きます。
自分の音楽人生で最も影響を受けたバンドがレッドツェッペリンです。すべてが好きすぎて、何をどう紹介したらいいのかわかりませんが、少し冷静になって、初めて聴く人に僕の思いを伝えるという意味で考察してみたいと思います。レッドツェッペリンは、ギター・ジミーペイジ、ボーカル・ロバートプラント、ドラム・ジョンボーナム、ベース&キーボード・ジョンポールジョーンズがそのメンバーです。ヤードバーズを引き継いだジミーペイジが新メンバーを集めて1969年に結成しました。僕は、中学生の頃、1970年代前半にロックにどんどんはまっていきましたが、当時情報ツールは音楽雑誌しかなくて、その中で有名だったのがミュージックライフでした。当時の読者投票による年間ベスト発表で、バンド部門1位のエマーソン・レイク&パーマーについで2位がレッドツェッペリン、ギター部門1位ジミーペイジ、ボーカル部門1位ロバートプラント、ドラム部門1位ジョンボーナムでした。一体どんなバンドなんだろうと思っていました。姉の友達が彼らのシングルレコードの「移民の歌」を聴かせてくれたのが最初でした。後で曲紹介で書きますが、衝撃を覚えたことを覚えています。リアルタイムで6枚目の2枚組アルバムの「フィジカルグラフィティ」を購入しました。当時ディープパープルやTRex、エルトンジョン、クイーンなどの人気があり、曲もよくかかっていましたが、レッドツェッペリンはほとんどシングルレコードを出さず、しかもアルバムが1年おき、フィジカルグラフィティは2枚組でしたので2年ぶりの発売でした。映像でも観ることはなかったので、買ったレコードを聴いて想像するしかない時代でした。正直初めてフィジカルグラフィティを聴いたときは、他のバンドのようなキャッチーさがなくて聴きづらい印象でした。それでもそれしか持っていなかったので何度も何度もレコードを聴くうちに。妙に気持ちよくなって、中毒のように毎日聴いていました。いまでも時々聴きますが、曲の詳細までイメージできます。他のバンドと何が違っていたか、今思うのは、どの曲も一本筋が通っていてどっしりしていると感じます。チャラチャラしていないのです。もちろんギーターソロとか有りますが、まずはギターのリフがかっこいい。トランス状態になるような中毒性があります。そして色気があります。ハードロックと言われていますが、他のバンドのボーカルと違って、どんなにハイトーンでシャウトしてもロバートプラントの歌声には色気があります。なんといってもドラムのジョンボーナムが凄すぎます。重いズシズシとくる音でありながら、カスタネットのようなバスドラ、でもぼくが一番心地いいと感じるのは、正確無比なハイハットです。4拍子をしっかり踏んでビシッとリズムをキープしています。トリッキーなリズムであっても決して手数にこだわらず、曲のリズムを変調しであってもしっかりと生み出しています。1980年に嘔吐による窒息で絶命しますが、代わりのドラマーなどいないという理由でレッドツェッペリンは解散します。代わりのドラマーなんているわけがないとおそらくみんなそう思ったと思います。解散して25年がたちますが、いまだにその人気は衰えることはなく、最近のミュージックマガジン誌のドラマー部門でジョンボーナムがダントツ1位でした。また、今になってデビューから2枚目までの初期のドキュメンタリー映画「ビカミングレッドツェッペリン」が海外で上映が決まり、日本でもそのうち上映されるようです。いまから楽しみでしかたありません。そんなレッドツェッペリンのアルバムの中で、僕が選ぶ究極の曲を各アルバムから1曲ずつ選んでみようと思います。あえてライブアルバムは除外します。フィジカルグラフィティは2枚組なので2曲にしました。
まずは1969年の衝撃的なファーストアルバムから。このアルバムでレッドツェッペリンのその後のすべてが入っているといってもいいほどデビューにして完璧なアルバムです。彼らはテレビ出演をせず、あえて多くのライヴでその実力を見せつけ、シングルは出さずアルバムのみでしかも1年おきという神秘のベールにつつまれたカリスマ的要素を打ち出していました。いまでも忘れた頃にリマスターをだしたりと、いまの時代とは逆行しますが、あえてわくわく感やものほしさを募らせるといったジミーペイジのプロデュース手腕も長けていると思います。
一曲目の「グッドタイムスバッドタイムス」のバスドラは圧巻ですが、あえて「幻惑されて」を( https://www.youtube.com/watch?v=w772GXG5LnE )。曲の転換のところのドラミングと疾走感はやばいです。バイオリンの弦を使ったジミーペイジ特有の奏法など盛りだくさんです。初めて聴いたとき、迫力に鳥肌が立ちました。
セカンドアルバムからは1曲目の「胸いっぱいの愛を」を( https://www.youtube.com/watch?v=HibBnC6SVk8 )。とにかくギターのリフがかっこよすぎます。ベースとのユニゾンかっこよすぎです。耳に残ります。3枚目からはアコースティックやケルト音楽を取り入れた曲が増えて、彼らの懐の広さがうかがえます。発売当時、ファースト、セカンドのようなブルース基盤のハードな音を期待していた人たちから不評だったようですが、個人的には好きなアルバム3枚目になります。B面のアコースティックな曲が大好きですが、あえて一番の衝撃を受けた1曲目の「移民の歌」を( https://www.youtube.com/watch?v=P3Y8OWkiUts )。いまもよくテレビで流れているので聴いたことがあると思います。このユニゾンのリフ、ドラム、ロバートプラントのハイトーンのボーカル、かっこよすぎます。4枚目はアルバムジャケットにバンド名もアルバム名も何も入っていないという前例のないアルバムです。このアルバムはレッドツェッペリンのなかで最も有名で、世界中のロックの売り上げアルバムでダントツの1位となっています。すべての楽曲が最高です。最も有名な曲は「天国への階段」ですが、あえて1曲目の「ブラックドック」を選んでみました( https://www.youtube.com/watch?v=2KPEHohJMuw )。出だしからしびれます。途中変拍子がありますが、ビシッとしたドラムでなぜかつじつまが合ってしまうという不思議な曲です。この曲も聴けば聴くほど好きになる曲です。5枚目ではじめて「聖なる館」というタイトル名がつきます。名盤4枚目の後であるにもかかわらず素晴らしいアルバムです。ファンク、レゲエ、ドゥーワップ、バラードなどさまざまな曲調の曲がひしめいていて、めっちゃ素晴らしいアルバムです。個人的には2番目に好きなアルバムです。1曲目の「永遠の詩」を( https://www.youtube.com/watch?v=MTRgvPrUuU8 )。とにかくかっこいい。12弦ギター、ベースライン、ドラム、この疾走感がすごい。色気もある。ライブ映像もかっこよすぎます。ついでにアップしておきます( https://www.youtube.com/watch?v=rZKxnvrYU_Y )。かれらはどこまで進化していくんだろうと思いますね。そして一番大好きな6枚目の「フィジカルグラフィティ」。これは、アルバムとして聴くのが一番いいのですが、個々の楽曲としても最高に好きです。スルメのように聴けば聴くほど味が出ます。音楽の宝箱みたいなアルバムです。2曲選ぶなら、1曲目の「カスタードパイ」( https://www.youtube.com/watch?v=hB43v5rWBF0 )と「カシミール」( https://www.youtube.com/watch?v=QT8_Y-dxQ94 )を。「カスタードパイ」を聴くと、レッドツェッペリンは怖いものなしだなという王者の風格さえ感じます。リフのかっこよさ、ハーモニカもかっこよすぎます。ベースもキーボードもドラムもボーカルもぜーんぶかっこいい。「カシミール」は彼らの曲の中で一番好きな曲です。8分以上有るのに飽きることがありません。おさえにおさえたジョンボーナムのドラム、凄いです。本当にレッドツェッペリンはどこまで凄いんだろうと思いました。7枚目の「プレゼンス」は、ロバートプラントの事故があったりして、アルバムも原点回帰というかアコースティックサウンドがありません。僕もちょうど受験の頃であまり聴き込んではいないのですが、個人的には「フォーユアライフ」が好きです( https://www.youtube.com/watch?v=zkFh7fC7-h8 )。リズムが表と裏と絶妙に入れ替わる感じがかっこいいです。8枚目の「インスルージアウトドア」は正直ほとんど聴き込んでいません。ジミーペイジではなくジョンポールジョーンズがはじめて張り切って作った曲が多いアルバムです。当時ロックはパンクロックに押されていた頃でした。このアルバムを出した後、ジミーペイジとジョンボーナムが、またハードな感じの曲を作ろうといっていた矢先にジョンボーナムが亡くなって解散になってしまいました。このアルバムからはあえて選曲はしません。解散後に出したジョンボーナム追悼のようなアルバム「コーダ」から、ジョンボーナムのドラミングのすごさが伝わる「プアトム」を( https://www.youtube.com/watch?v=51jvfaqiNio )。サードアルバム時の曲でアルバムから外されていた曲のようですが、こんなに凄いリズムの曲を何で入れなかったのかよくわかりません。「移民の歌」のバスドラムといい、このころのジョンボーナムはほんと凄いです。
僕はきっとこれからもレッドツェッペリンを聴き続けると思います。こんなバンドはもう二度とで会えないと思います。
○2025年1月26日日曜日
昨年末、母を福岡からいわきに連れてきてからその後の役所での手続きだったり、なんやかんやといろんなことが続いていて、1月になってまだ25日しかたっていないのに、なんだかものすごく時間がたったような錯覚に陥っています。2月は仙台での学会にみんなで行ったり、母のところに姉の家族が遊びに来たり、また何かとバタバタしそうです。2月にあるいわきの常磐医学会にも2年ぶりに演題を出しました。これまであまり人には教えなかった甲状腺診療のノウハウを一気に話そうと思います。専門医としていわきに貢献できることといったら、甲状腺診察ができる医師を育てることしかないと思っています。おこがましいけれど、日本甲状腺学会と日本内分泌外科学会(旧甲状腺外科学会)の専門医はいわきにはまだ僕しかいないのでそれが僕に課せられた使命の一つだと勝手に思っています。外科は常磐病院の尾崎先生が育ってくれたので、あとは内科を育てなくてはいけないと思っています。そうはいっても仲良しの先生はそれぞれ別の専門を持っているからなかなか育てていく時間が無いのが現状です。とりあえずはポイントを抄録に書いていわき市医師会報に載せてもらえたら、興味がある先生は見てくれると思っています。
先日そのいわき市医師会報から、なんでもいいから執筆して下さいと言われたので、昔の慈恵医大の思い出の一つを書かせてもらいました。1月号に載る予定です。今ならハラスメントのようなことかもしれませんが、当時はしかられてもへこたれずに反省して頑張ったものです。そうやってみんな育ってきたと思います。ちょうど先ほど今度産業医をしている会社の委員会で話すハラスメントについてのスライドを作っていたんだけど、なんだかいろいろと生きづらいというかつまんない時代になっちゃったなと感じます。そんなわけで、いわき市医師会報に書いた内容をアップしましたのでよかったら読んで下さいませ。
題:怒られた思い出
この度執筆のご依頼を賜りました。ある懐かしい思い出について書かせていただきます。
僕は、昭和62年に慈恵医大を卒業して2年間の外科研修を終えて、当時の第2外科に入局しました。慈恵医大で最も尊敬していた病理学教室の石川栄世教授から、消化器癌の外科医になるのであれば病理をまず勉強しなさいと言われたこともあって、入局してすぐに病理へ1年間出向させていただきました。病理への出向は、僕がはじめてだったのですが、その後脈々と後輩が勉強に行かせてもらいました。築地の国立がんセンターから慈恵医大の病理に来られていた下田忠和先生に師事しました。そのころ慈恵医大の内科から病理に来ていた藤崎順子先生や、病理の池上雅博先生にとっても仲良くしていただきました。藤崎先生は癌研有明病院の上部消化管の内科部長に、池上先生は慈恵医大病理学教室の教授になられて活躍されました。僕は当時珍しかった胃の内分泌細胞癌の病理をまとめるようテーマをいただいたのですが、どう勉強したらいいのかもわからなくて、日々だらだらしていた気がします。そんなあるとき突然下田先生に、「今日の夕方、カンファレンスで君のテーマについて報告をしなさい」と言われ、全くなんにもやっていなかったので、あせって適当にまとめてみんなの前で発表をしました。途中で下田先生から、「二村、もういい。時間の無駄だ。やる気が無いなら明日から外科に戻りなさい」と言われました。もうショックで、自分が情けないやら恥ずかしいやらで、穴があったら入りたい気持ちだったことを今でもよく覚えています。僕は単純な男なので、これではまずいと思って、その日夜中まで顕微鏡を覗いていました。夜の2時頃、突然部屋の扉が開いたので、びっくりして振り返ると下田先生が立っていました。「おまえ。泊まりか?」と聞くので、「はい。泊まってやれるところまでやります。」と言うと、「私も泊まるから朝5時に起こしてくれ」と言われました。朝、起こしに行くと下田先生は椅子にもたれて寝ていました。「朝飯に行こう」とタクシーに乗って慈恵医大を出ました。怒られた翌日ですし、怖い先生でしたので、緊張していました。一体どこに行くのだろうと思っていたら、朝の築地の場内の寿司屋に連れて行って下さいました。「好きなものを食べていいぞ」と言われましたが、まさかウニとかトロとか言えるわけもなく、下田先生が「タコ」というと僕も「タコ」という感じでごちそうになったことを今でも鮮明に覚えています。元来無口な先生なので、そのときは身の置き所がない感じでした。それ以来、勉強することの大切さを身にしみて感じ、まじめに勉強するようになりました。その後、テーマだった胃内分泌細胞癌のことをまとめて、日本病理学会で発表しました。写真はその時のものです。20代の自分が写っています。初めて学会で発表させていただき、学会発表の楽しさを知ることができました。その後、当時秋田日赤病院にいらした早期大腸癌で有名な工藤進英先生のところへ夜行列車で向かい、一週間でしたが楽しく勉強させていただいたこともありました。組織のスライドをみてみんなで診断を言い合うのですが、なぜか僕だけ癌が多く、工藤先生に「下田癌だねえ」と言われたことを覚えています。そのころは東京医科歯科大の中村恭一先生、新潟大の渡辺英伸先生、慈恵医大の下田先生が消化管の病理診断ではトップでした。中村先生と下田先生は渡辺先生より癌の診断率が高かったように思います。懐かしい思い出です。僕の弟の二村聡も病理を志して、慈恵医大から国立がんセンターに戻られた下田先生に師事して、今は福岡大学筑紫病院の病理の教授をしています。雑誌「胃と腸」の編集委員にもなっていて頑張っているようです。弟の今があるのは下田先生あってのことだと思います。そう考えると、僕も今の自分があるのはあの下田先生に怒られた1日があったからだと思っています。心から感謝しています。
2024年のいつだったか、日本消化器内視鏡学会の指導医更新のためのセミナーがありました。藤崎純子先生が会長をされていて、会場で「にむちゃん、お久しぶり。元気?今度しもさんと食事するから来てね」とお誘いいただきました。毎年下田先生にお世話になった仲間たちと集まっていましたが、今回は少人数でやろうと言うことになったようで、先日楽しいひとときを過ごさせていただきました。写真はその時のものです。左から、癌研有明病院の大腸内視鏡の部長をしている斎藤彰一先生、池上先生、僕、藤崎先生、僕の下が下田先生です。こんなに楽しそうに笑っている下田先生を初めて見ました。みんな素朴で真面目で、本当に心から尊敬しています。
僕もいつまでも純粋な気持ちを忘れないでやっていかなくちゃと思いました。
○2025年1月19日日曜日
今日はいい天気ですが、寒くてかないなせんね。インフルエンザが猛威を振るっているので気をつけなくっちゃ。
母が部屋に飾ってくれていた僕の描いた油絵を診察室に飾りました。小学校1年の時に書いた熱帯魚の絵です。子供らしくていいですね。幼稚園から小学校の低学年まで油絵を習っていて、ナイフで絵の具を塗りたくるのが好きでした。いろんな色を使えるのではまっていましたね。教えてくれていた絵の先生が、色彩感覚がとても面白いと言って褒めてくれたそうです。この絵は福岡県のなにかの展覧会で金賞を取りました。家に楯があったのですがなくしてしまいました。記念写真と新聞記事は残っています。いまではこういう素直な絵は描けませんね。
福岡県立小倉高校時代の3年時の仲間と担任の先生と会ってきました。当時僕らは18歳で、担任の野口先生は26歳でした。宿題を忘れると、体の芯まで痛みがずしんとひびくげんこつか吹っ飛ぶようなビンタか1時間の正座かを選ぶというものでした。今ではよき兄貴という感じです。理系クラスでしたがなぜか先生は漢文担当でした。当時の3年7組の仲間はみんな優秀でした。倉敷から来たえもげんこと江本源一君は、京都大学卒業後三菱化学に入社し、現在定年後子会社に勤務しています。鹿児島から来た菰方君は、鹿児島大学医学部卒業後鹿児島大学で外科医として活躍し、現在は外科医をやめて老人病院で勤務しています。金沢から来たじぞうこと溝上君は、産業医大卒業後現在金沢大学泌尿器科の教授をしています。戸畑から来た森浩一君は、横浜国立大学卒業後ビクターに入社し現在定年退職後横浜から実家の戸畑に戻って働いています。こめおこと古賀君は、鹿児島大学歯学部を卒業後、現在は同じ歯科医の奥さん、お嬢さんと歯科クリニックをいくつも経営しています。大親友のよっちゃんこと吉田君は甲子園球児で3年1組でしたが特別参加で東京から駆けつけてくれました。懐かしくて話が止まりませんでした。写真は左から僕、菰方、森、先生、えもげん、じぞう、前がこめおです。えもげんが、卒業式のときに先生が泣きながら「学成らずんば死すとも帰らず」といって送り出してくれたことを今でも思い出すと言っていました。じぞうは、卒業証書をわたしているとき、僕のところで先生が「二村」といって渡してくれたとき、涙を流し始めたそうで、じぞうももらい泣きをしたと言っていました。森君からは、文化祭か体育大会か何かの準備のときにクラスがもめていたそうで、そのとき僕がみんなに説教をしてまとめていたと話していました。どれもこれも懐かしい思い出です。菰方君は、医者になってくも膜下出血で生死をさまよいましたが、地獄の3丁目から引き返してきました。酒も飲むしたばこも吸います。彼が、「人の生き死にはほんと運よ。」といっていましたが、本当にそう思います。生きているときに悔いのいないような人生を送りたいものですね。最近そう考えると、物欲というものが全くなくなりました。僕は福岡の実家を引き払って、しかもいわきには単身ですので、家や土地にも無関心です。車も動けば何でもいいし、服も着れれば何でもいいです。ブランド品にも興味がありません。唯一、仲のいい人たちと楽しく語り合って、周りの人が幸せを感じることが自分の幸せです。遠くてもまた高校時代の親友に会いに行こうと思いました。当時、3年の頃運動会、小倉高校では体育大会といいましたが、仮装行列の予定が、体育教師に禁止されてしまい、その腹いせで、名指しで非難されたこめおはボイコット、ほかの3年7組の仲間はあえて夏服の制服でグランドにでました。文化祭のときの3年7組の演劇の漢文邪の龍の神輿ででました。僕は先生が書いた国士無双というのぼりをもって走り回りました。その時の写真です。神輿の真下に菰方、その3人右で神輿の右下に背が高いえもげん、右端でのぼりをもっているのが僕、一番下の左から2人目の爽やかな笑顔が森君、一番下の右から2人目がじぞう、真ん中の広島カープの帽子が先生です。先生は広島大学の教育学部なのでカープファンです。高校時代が僕の中の宝物です。何をやっても楽しかったし許されたし、本当に自由な発想で生きていました。今もその当時と何ら変わりません。いまはいいも悪いもインターネットやSNSの影響で、禁止事項が多すぎて味気ない時代になってしまいました。僕の世代までは昔のままで生きていきたいものです。
音楽のことはまた今度に。明日からまた元気に頑張りましょう。
○2025年1月5日日曜日
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
昨日1月4日は仕事始めでした。1月は第3週まですべて予約枠が埋まっているので、緊急の新患さんがいた際にはどこで枠がとれるか、戦々恐々といったところです。それに、昨日も連絡が無くて来られなかった方が数人いて、キャンセルの電話がなかったのできっとうっかり忘れていたのか年末年始で電話が通じなかったためなのかどちらかなんだろうとは思いますが、いずれも薬を飲まないといけない方々で、予約を入れるスペースがないから正直心配になっています。
この年末に母を福岡からいわきの施設に連れてきましたが、気を遣ったせいかどっと疲れました。しかし埼玉の川口の家に戻ったとき、ぼくの息子が手料理を作ってくれて、美味しくて感激しました。天使のエビは、あまくて美味しくて、頭と尻尾は出汁やミキサーで粉にして、トムヤムラーメンを作ってくれました。びっくりするくらい美味しかったです。そのスープで翌日には豚の角煮も作ってくれましたが、実に美味しかったです。鶏のコンフィも美味しかったです。おいしいブリも飼ってきてくれて、ブリしゃぶで食べました。お正月は、大好きな二村家のお雑煮を3日連続で食べました。あごだしでブリと鶏が入っているのですが、九州のお雑煮に入れるかつお菜もいれて食べました。源次寿司から買ったタラバ蟹や数の子も美味しかったです。毎日がお正月だったらなと思いましたが、年に1回だからお雑煮も美味しく食べれるのかもしれませんね。最後に息子が仙台牛を買ってきて作ってくれたローストビーフがありえないくらい美味しくて、ソースも手作りでしたがめっちゃ美味しかったです。たいしたもんだなあと思いました。ぼくと同じで、食べるのが好きというより、人が喜ぶのが好きと言ってました。親子だなと思いました。
ぼくはいつも夢を見るのですが、記憶がありません。でも今年の初夢は鮮明に覚えていて、急いで病院に行かなきゃと思ってなぜか財布や携帯を置いて外に出て、近道と思われる道を走っていったら道に迷ってしまい、見たこともない坂の交差点で立っていた背が小さくて丸めがねをかけた女性に道を聞き、そこを走って行くんだけどさらにわからなくなってどうしようと思っていたところで目が覚めました。どんな意味があるのかな。1月2日は大の仲良しで高校の親友のよっちゃんと赤羽の居酒屋で昼飲みしました。毎年彼の部屋で飲んでいたのですが、エンドレスで前後不覚になるくらい酔ってしまうことがあったので、今年はお店で飲みました。楽しかったなー。今回一番うれしかったことは、6年前にいわきで保護した猫のねねちゃんが、はじめて近寄ってスリスリしてくれたことです。いつも警戒して逃げ回っていたのですがようやく警戒しなくなったようです。背中をポンポンしてくれと何度も来てくれました。1月3日ははやめにいわきに戻って、おふくろのところへ行ってきました。まだ引っ越しの荷物が届いていませんが、お正月中にずいぶん慣れたらしく、お友達もできたようでほっとしました。そのあとクリニックで夜9時くらいまでやり残していた書類書きなどすべて終わらせて外に出たら、雪が降っていて、暗い中歩いて家に向かっていったのですが、いわき3中前あたりで道路が凍結していて滑って転倒してしまいました。受け身をとったので外傷はたいしたことは無かったのですが、右膝を伸ばしたみたいで、おそらく内側側副靱帯をちょいと痛めたんじゃないかと思いました。昨日は痛くて歩けなかったのですが、湿布とロキソニン内服で今朝はかなり好くなってきています。今年の目標を、1年で10kgやせることにしたので、今日は早速ジムに行って、そのあとウオーキングしようと思っていたのですが、これでは買い物に出歩くくらいしかできないです。来週は小倉高校の3年時の担任や友達と北九州の小倉で会うので、それまでによくしなくちゃ。
今日の曲は、1年の始まりなので、大好きなブラジル音楽をいくつかピックアップしてみました。サンドラ・ジ・サー( https://www.youtube.com/watch?v=AjpLL5tlX8M&list=PLvgcQr40gK90qUcEtWu6m8nw-gWQYfAUP&index=31 )、ジョアン・ボスコ( https://www.youtube.com/watch?v=OgYLEErk5LM )、イヴォン・ララ( https://www.youtube.com/watch?v=5CHdXUvM8iE&list=RDEMIQT1Chkojp3Fs4e6m_ocyA&start_radio=1 )、ミルトン・ナシメント( https://www.youtube.com/watch?v=GGmGMEVbTAY )、ギンガ( https://www.youtube.com/watch?v=6EWBbYCNeWc&list=RDEMFdJ35xIal66hfVTJRZKi6A&index=23 )、カエターノ・ヴェローゾ( https://www.youtube.com/watch?v=Gz5s7GtZIs0 )、ガル・コスタ( https://www.youtube.com/watch?v=rYsCGDJ9fi8 )、ジルベルト・ジル( https://www.youtube.com/watch?v=ou78Tuy_MNM )、エリス・へジーナ( https://www.youtube.com/watch?v=0rFFRI1lq9g )、ジャヴァン( https://www.youtube.com/watch?v=l3wGQlw09mM )、ノヴォス・バイアーノス( https://www.youtube.com/watch?v=3G56cA7rAx8&list=OLAK5uy_kKxjKG1wOjkIsXQCro5nBX4wTyd4GCALA&index=19 )、フェルナンダ・アブレウ( https://www.youtube.com/watch?v=Ldzj1GnjDbE )
また明日から本格的に忙しくなりそうなので、体に気をつけて頑張ろうと思います。
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